#53 東北紀行 鳥海山

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2015年8月5日水曜日
東北3日目

早朝に目を覚まし、絶好の山日和で気持ちも軽く、スイスイと足を運ぶ。
今日は、標高2236m百名山である秋田の鳥海山に登る。鳥海山の山姿は富士山に似る山だ。

午前6時過ぎに鉾立駐車場を出て、りょう河原に予定通り1時間20分に着いた時は晴れ渡っていたが、そこから40分登り、御浜小屋に着いた頃は、風が強く、ガスで視界が遮られた。

本来ならば御浜小屋からは、高山植物に囲まれた鳥海山を映した鳥海湖が見えるはずだが、その姿も確認できないほど天気が荒れていた。

御田ヶ原分岐から七五三掛までガスの平原を淡々と歩き、千蛇谷にさしかかったところで急登の雪渓を登る。ここまでは4時間近く登っているので疲労もピークでこの長い急登は身体に応え、辛い。

約45分の急登に耐えきり、ようやく御室小屋が見えた。ここまで来れば頂上まであと15分だ。
ガスも抜けて青空が見えてきた。まるで頂上制覇を祝うかのような天気を味方に足どりも軽く、5時間の激戦に耐えてようやく鳥海山の最高峰である新山頂上に立つ。

新山頂上からの眺めは、庄内平野日本海羽黒山栗駒山、月山が一望できて見応えがあった。
新山から七高山、伏拝岳、文珠岳をお鉢のように旋回して登る。
360度の大パノラマを眺めながら歩くのは最高の気分だ。
これだから山登りはやめられない。
御浜小屋に戻り着いたら、午前中はガスで見えなかった鳥海湖が高山植物とともに姿を見せてくれた。
とても癒される光景だった。
うっとりして30分ほど湿原の上で寝そべってしまった。

自分の脳裏にユーミンの「やさしさにつつまれて」のメロディーが流れる。
そのメロディーに乗せられて夢心地に。
そして爆睡する。

この爆睡は長くは続かなかった。
明日は山形県にある月山を登るために車の移動時間を考えて足早に下山しなければならない。
少しピッチを上げて午後15時過ぎに鉾立駐車場に着く。
普段着に着替えてそこを発ち、日本海に沿って国道7号から鶴岡を経由して112号月山道路を走り、月山登山駐車場に17時過ぎに着く。
途中の国道7号線沿いにあった、寄り道したスイカ土産店のスイカは甘かったなぁ。
ついつい、家族の笑顔を思い浮かべて、自宅に土産として宅配を頼んだ。

明日も晴れますように。

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出発してほどなく鳥海山が見える。登り5時間の長い道程だ。
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ガスの中で雪渓を登るがけっこうしんどかったなぁ。
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鳥海山の最高峰である新山に登頂。
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新山からの眺望。日本海が見えます。
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七高山からの眺めは天空の眺めだったなぁ。
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七高山を振り返る。
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お鉢のように旋回して登ります。
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文珠岳からの眺めもよかったなぁ。
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鳥海湖と高山植物
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御田ヶ原から鳥海山を振り返る。

#52 東北紀行 鮮やかな夕陽に感動

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2015年8月4日火曜日晴れ
東北2日目

前日は福島県にある磐梯山五色沼を子供たちと共に過ごし、22時に帰宅してそのまま爆睡。
今朝は7時過ぎに起床し、今日から新たな東北紀行が始まる。

秋田県にある鳥海山山形県にある月山、蔵王山、吾妻山、福島県にある安達太郎山を踏破する。
いずれも百名山であり、自分にとっては未踏の山である。
山登りもきついが、長距離ドライブもしんどい。
なにせひとり旅だから、リスクが大きいが、自己責任で全うしようと心に決めた。

今日は、自宅から鳥海山登山口である鉾立駐車場まで総走行距離550km8時間のドライブだ。
自宅に9時過ぎに出て関越道で新潟まで進み、そこから日本海東北道で、あつみ温泉から酒田バイパス経由鳥海ブルーラインで鉾立駐車場に17時過ぎに辿り着く。

前日の疲労が取れない中での長距離ドライブはしんどかったなぁ。まぁ無事に着いてほっとする。
駐車場はすでに半分以上の50台は埋まっており、明日の鳥海山登山に備えて各自がそれぞれリラックスしていた。

隣に駐車していた名古屋ナンバーの外車(なんていう車種だか忘れた)を運転する65歳過ぎのおっちゃんより煎り立てのコーヒーを頂戴する。
このおっちゃんの経歴がユニークだった。
20歳代に毎週末に全国の百名山、2百名山、3百名山制覇に夢中になり、上司から仕事を取るか、山を取るかはっきりしろといわれて山をとったとか。

山を存分に自由に登りたいことを理由にIT企業を起業したものの、経営が苦しく、逆に好きな山に登る時間がなくなってしまったとか。
幾度の経営ピンチに立たされ、その度に登山精神で逆境を乗り越えたともいう。
今は経営も安定して息子さんに継がせ、自分は日本山岳会ガイドになり、好きな山を存分に楽しむ境涯になったそうだ。

おっちゃんのバイタリティー、開拓精神に頭が下がる思いだ。
おっちゃん、いい話ありがとうな。

18時過ぎに鮮やかな夕陽におっちゃんと共にしばし感動し、そして沈黙する。見事なオレンジ色だ。明日の天気は良さそうだ。
おっちゃんにおやすみを告げ、コンビニで買った、かつ丼弁当を食べてビールを飲み、20時過ぎにシュラフに潜り込む。
明日はどうか晴れますように!

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鉾立駐車場からの夕陽です。日本海も染まっていました。

#51 東北紀行 磐梯山

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2015年8月2日日曜日 晴れ
東北初日

午前6時過ぎに自宅を出て圏央道から東北道に乗り、猪苗代磐梯高原ICを下りて八方台駐車場に10時過ぎに着く。

かみさんは仕事で都合がつかず、子供2人を連れて
百名山である標高1816m磐梯山に踏破する。

抜けるような青空の下、八方台登山口から八方台コースを登る。頂上までは2時30分の登りコースであるが、子供たちの登りはカモシカのように速く、飛ぶように登る光景に釘付けになる。

登山開始後、2時間で弘法清水に着く。その名通りに泉から水が間断なく湧き出る。清美は何度も湧水を掬い上げては冷たいと発する。
岡部小屋の中に入るとちょっとした風通しのよい休憩室があり、清美は涼を取って窓の前方に広がる桧原湖に終始眺める。
将人は登山口から弘法清水まで辿ったコースを眺めては、花畑に夢中になる。

ここから山頂までは30分の急登を我慢すれば猪苗代湖朝日岳連峰、磐梯高原桧原湖を一望できる大パノラマが待っていた。
将人と清美は、この大パノラマに感動し、初めて百名山を制した醍醐味を噛みしめていた。

下山はお花畑を見ながら回り込み、登りコースに合流して八方台登山口に戻る。
今日の宿泊は、豪華バイキングのロイヤルホテルでゆっくり露天風呂に浸かり、疲れを癒そう。

2015年8月3日月曜日
早朝に小野川湖と秋元湖をドライブで回る。その後はホテルに戻って朝食バイキングを取ったあとに、五色沼を散策。
五色沼は、全長3.6kmを2時間かけて歩く。毘沙門沼、赤沼、青沼、柳沼等のエメラルドグリーン、コバルトブルーに魅せられる。
この神秘な色に魂が吸い取られそうだ。
子供たちもすっかり満足した様子。

いよいよ東京へ帰る。喜多方ラーメンを食べたいというので遠回りして294号から会津若松、喜多方に車を走らせる。喜多方ラーメンは「坂内食堂」ラーメンが有名であることは、事前に知っていた。
ナビ通りに進むと、なんと炎天下の下で長蛇の列が待っていた。
日傘は店が用意してくれるものの、炎天下の下で1時間30分ずっと立ち続けることはできず、時間がもったいないので早々とあきらめた。
次に来るときは作戦を立てて食べようぞ。

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弘法清水と岡部小屋からの眺め。前方は朝日岳連峰。
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山頂から猪苗代湖を望む。
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山頂から桧原湖を望む。
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家族揃って山頂記念撮影。
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いよいよ下山です。お花畑がきれいでした。
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早朝の秋元湖は幽玄の世界でした。
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五色沼を散策。前方の山が磐梯山
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「坂内食堂」前のこの行列です。

#50 歴史のロマンを感じた青物横丁 天王洲アイル 泉岳寺

2020年6月27日土曜日 曇り

都内の病院で耳鼻咽喉科定期検診を無事に終える。午後の時間が余ったので散策しようと考える。
頭の中で散策コースを描いたら即実行。

今日の散策は、大井町、青物横丁、天王洲アイル
泉岳寺明治学院大学、白金台プラチナ通り、恵比寿駅までの総距離数12km 4時間30分の散策コースだ。

12時30分に大井町駅からスタートして池上通りで青物横丁へ15分足らずで着く。
青物横丁の由来は、江戸時代に農家が、青物(野菜、山菜)を持ち寄る市場だったようだ。
青物横丁通りは、旧東海道でもあり、歴史を感じさせる通りだ。通り沿いに品川寺があり、境内に樹齢600年の銀杏の木が見事だった。この寺の長い歴史を感じる。

青物横丁から東京湾方面に天王洲アイル駅まで40分程着く。キャノン、京セラ等のオフィスビル、高層ビルが立ち並び、それ以外は何の特色のない駅界隈だった。
たしか友人が天王洲アイルで結婚式をあげたホテルがあるので、さぞかし若者の街と思ったのだが、肩透かしを食らった感じだ。

天王洲アイル駅からさらに東京湾方面に向かい、運河が見えたところで左に曲がるとボードウォーク(板張りの遊歩道)があるので少し歩いてベンチでひと休みする。
今朝、コンビニで買った麦茶のペットボトルを初めて蓋を開け、一口飲み干す。昼飯用として買った、チョコスティックパンを運河を眺めながら2本食べる。
10分ほどひと休みした後、立ち上がって後ろを振り返ると、立派なホテルが構えていた。

きっとホテルの最上階に展望があることを期待して躊躇することなく、何気ない顔をしてエントランスホールに入り、フロントの前を通って、エレベーター28階まで上がるとベイブリッジを初め、見事な都心全景を眺めることができた。
29階は愛を誓い合うスカイチャペルであった。

ほどなくフロントに戻り、女性スタッフより天王洲アイル駅界隈の地図をもらい、観光スポットを教えてくれた。とても親切な女性スタッフで感謝の礼を述べる。
ここのホテルは第一ホテル東京シーフォートという3つ星のホテルで友人が結婚式をあげた場所であることを後で気づく。

いわれた通りに、指示に従って進むと水辺のレストランである、T.Y.HARBORに行き着くと、かなりの人で混み合っていた。テラスで運河を眺めながらクラフトビールを飲むのは気持ちいい。

ここあたりは、およそ20平方万メートルの人工島の上に倉庫街としてショッピング、カフェ等が立ち並んでいる。色彩豊かなウォールペイントが印象的だった。
なるほど、確かに若者の街かもしれない。
品川駅から徒歩20分で行ける距離、しかも、運河があり、ショッピングモールがありで、それほど知られていない街からすると穴場だと感じた。夜景もきれいなようなのでまた寄ってみたい場所だ。

天王洲アイルから赤穂浪士が眠る泉岳寺にお詣りしたあとで、土産物の小泉商店に入る。
軒先に江戸時代の古地図を眺めると、後ろから店員に声をかけられる。
店員によると品川駅辺りの山手線は、江戸時代は海だったと説明しながら、古地図に指をさす。
明治時代に海を埋め立てて鉄道を敷いたとの説明も受ける。

国の大号令とはいえ、当時の技術力からして難事業であり、当時の民衆のパワーが偲ばれる思いだ。
先ほど歩いた青物横丁通りも旧東海道なわけで、そこも東側に海が一望できる、海沿いの東海道であったようだ。

歴史のロマンを感じた。

その店員さんから江戸時代の街並と現在の東京の街並比較のWeb情報を教えてもらい、思わず「えっ」と声をあげる。

ここまでスマホで見れる便利な時代に驚くとともに、時代に取り残されそうな自分が映像として立っていたのだった。

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青物横丁通りで旧東海道です。
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第一ホテル東京シーフォートからの展望。
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若者に人気のT.Y.HARBOR
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ボンドストリートから色彩豊かなウォールペイント。
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ふれあい橋はテレビドラマ、映画のロケーション撮影の名所のようです。
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泉岳寺大石内蔵助銅像
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明治学院大学東京大学医科学研究所。
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白金台プラチナ通りのレストラン。

#49 北海道紀行 日本海上

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2015年7月21日月曜日
秋田を通過した新日本海フェリーのデッキにて

「よう!また会いましたね!」

振り返ると、阿寒富士頂上で居合わせた長野県から
いらした60歳前後のご夫婦だった。
新日本海フェリーのデッキで司馬遼太郎の「北海道の諸道」を読んでいた自分は、偶然の再会を喜んだ。
真夏の日差しと潮風を全身に浴びた自分は、本をテーブルに置いてご夫婦と向き合った。
旦那さんは岡田真澄似の渋い顔立ちで、奥さんはチェリッシュに似る可愛い素敵な方である。

「どうぞおかけになってください」というと、ご夫婦は満面の笑顔で自分の前に座る。
お互いに北海道の情報交換から少しずつ現実の世界に入っていく。

「ところであなたは普段は何をされているのですか」と旦那さんから訊かれたので「ごく普通の電機メーカーで事務管理の仕事をしている」と自分はこたえた。旦那さんは「自分も同じだ」という。すると旦那さんは自分のことを延々と話する。
要約すると、以下となる。

若い時は週末に山登りの日々を送り、その趣味が高じて就職先も登山できる環境を探して諏訪市に本社を構えるE社に就職した。
もともとは都内に自宅があるが、やっぱり山が好きなので家を出て諏訪市内に居を構えた。

大学はW大学理工学部を卒業し、エンジニアからスタートしたが、途中から営業に配属となる。
入社後も週末は山登りの日々で仕事より山が忙しかった。今のおかみさんとは、八ヶ岳登山の時に牧場で知り合った。山の縁で結ばれて山に感謝している。子供も3人恵まれ全員独立している。
40歳代に都内の地元のT高校同窓の登山部仲間からヒマラヤ登山を誘われた。

何度も会社にヒマラヤ遠征の許可申し出をしたが、幾度も却下される。これが最後の申し出として粘り強く申し出を行ったところ、ヒマラヤ遠征に行くなら出世はないぞと上司にいわれ、それで結構ですと返事してヒマラヤ遠征の許可をもらった。
ヒマラヤ遠征は60日間ほど会社を休んで実現。

自分の人生とは何か、何を生き甲斐にするかを考えた時、出世競争に明け暮れる会社人生になりたくないと。
自分の趣味を生かして人生を輝やかせることが大事であると。
人生とはそういうものだと熱っぽく語る姿が印象的だった。

もうまもなく60歳定年を迎えるが、雇用延長の希望はなく、リタイアして自分の畑に野菜を作ったり、適度にバイトしながら、おこずかい稼ぎしてかみさんと共に山登りを楽しみたいと。

ヒマラヤ遠征しなければ学歴からしても間違いなく役員まで昇格する人材だと思うが、「人生とはそういうものだ」と語る真剣な眼差しが印象的だった。
好きなことをやり続けることは幸せなことだとつくづく感じた。人生のお手本にしたいと思った。

北海道でさまざま人に出会い、触発を受け、忘れることができない旅行となった。
北海道に感謝したい。

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フェリーから苫小牧港を眺める。
また来るぜよ!

#48 逗子 横須賀 三浦 海岸ウォーク

2020年6月20日土曜日晴れ

梅雨の合間の晴れに山か、海、どっちに行こうか迷ったが、2月より海を見ていないので久しぶりに海に行くことにした。

午前8時に逗子駅に着く。
今日は、以前より計画していた、逗子駅、逗子海岸、葉山、森戸海岸、長者ヶ崎、佐島漁港、立石公園、長井漁港、荒崎公園、和田長浜海岸、三崎口駅
を海沿いにウォーキングする。
総距離数は25km、ウォーキングは8時間だった。

ハプニングが起きてしまった。
葉山あたりから運動靴の底裏が破れて穴があいてしまった。しかも両方ともだ。
この運動靴は3年使っており、買い替え時期だが、準備を怠ってしまった。
ここからペースダウンを余儀なくされる。
一歩踏み出すごとに両足の裏が痛い。
まだゴールの三崎口まで18km以上あるというのに。果たして完歩できるのか。

たまりかねて長井のドラッグストアに入り、運動靴を買い求めたが売場にはもともとないといわれた。
運動靴は三崎口駅周辺のカインズまで行かないと運動靴はないという。

幻滅を感じ、少し撤退の文字が見えたが、とにかく焦らないでゆっくり進もうと決めた。
両足の裏に負担をかけずに滑稽なガニ股気味に歩く。
長時間のガニ股歩きは、姿勢が悪いので背中をも痛めることになってしまった。

なんとか荒崎公園まで14時30分過ぎに辿り着く。自販機で買った、冷たいコーラを飲んでひと休みする。このコーラで息を吹き返す。
ダイナミックな岩肌がむき出しになった断崖を見て、再び闘志を燃やす。

眼前の相模湾を横目に岩場を慎重に歩を進める。
穴のあいた断崖、頂きの松がユニークな弁天島を抜けてトンネル状の洞窟にさしかかる。
波と風に浸食された海岸がなんともいい。
見晴らしのよい佃嵐崎を越え、さらに岩場との格闘が続くが、両足裏の痛みがズキンズキン突き刺されて悲鳴をあげる。
なんとか痛みを堪えて和田長浜海岸に着くと、芝生のところでそのまま体を預けるように横たわる。

なんとなく黒い粒子線が奇妙な図形を描いているのを見つつ、そのまま寝てしまう。。

子供の歓声に寝起きする。
まだ夢心地も少しずつ現実に戻り、自分はどこかの砂浜にいることを確認した。
そして立ち上がる。

先の残りのコーラを飲み干し、ゴール三崎口駅まで残り45分だ。
気合いを入れ直して前に進むと、ほどなく大根畑とメロン畑が広がる風景に出くわす。
三浦半島独特の構図だ。
秋から春になるとキャベツ畑に変わるんだろうなぁ。近所の飼い犬に吠えられてその畑を立ち去り、和田義隆旧里親碑を越え、国道134号線を25分歩くとようやく三崎口駅に着く。

セブンで買った冷えたビールを一気に飲み込んで、この旅の良いシーンを切り取っては余韻に浸たる。

明日は新品の運動靴を2足買おう。

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逗子駅からスタート。
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逗子海岸から見た江ノ島。富士山の頂がちょっぴり見える。
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葉山マリーナ。
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山口蓬春記念館庭園の紫陽花。
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森戸海岸の葉山灯台石原裕次郎灯台ともいわれているようだ。
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石原裕次郎を偲ぶ碑。裕次郎レリーフと兄である慎太郎の詩がある。
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森戸海岸でどこかのモデルさんが記念撮影。
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立石公園から見た海岸。
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佐島公園から見た海岸。
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佐島漁港から水揚げされた鮮度抜群の魚が店頭に並ぶ丸吉商店。
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荒崎海岸を歩く。頂きのユニークな松が弁天島f:id:kunpu3684:20200621094141j:plain
佃嵐崎を振り返る。
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三浦メロンが実っています。
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和田一族は三浦半島を治めた豪士です。
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三崎口駅にゴールしました。

#47 北海道紀行 富良野 美瑛 巡り

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2015年7月19日日曜日
北海道8日目

今日は苫小牧港より19時30分新日本海フェリーを出て新潟に向かう最終日だ。

富良野、美瑛の観光スポットを回る。
以前から観光したかった、白髭の滝と青い池は観光ガイド通りの写真風景であり、特に感動はなかった。

その後は富良野にある富田ファームを散策。
ここは、家族旅行で何度も来ているので土地勘があるが、いつ来てもここは飽きない場所だ。
お花畑が美しいのだ。相変わらす人混みが多い。

美瑛は、じゃがいも畑と十勝連峰の構図がいい。
相変わらずマイルドセブンの木とか、セブンスターの木があった。なんでもテレビのコマーシャルで放映されから名所になったが、特に感動もない。
クリスマスツリーの木もしかりだが、哲学の木はまだ少し、ましのほうだった。

赤い屋根のある丘は、ある写真家がこの赤いの家に引き込まれて写真を展示したところ、反響があり、すっかり名所と化した。
毎回ここには必ず寄るのだが、自分の気に入りの場所である。

これで今回の北海道紀行は終わりだ。
やはり百名山踏破が強烈に印象に残る。

今度来るときは5年後の2020年になるのだろうか。その時の自分は進化、変貌しているのだろうか。

そんな自分を想像することは楽しみのひとつでもある。

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白髭の滝と青い池。
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ここのお花畑は最高。
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富田ファームのラベンダー畑。
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冷たいメロンをパクリ。
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赤い屋根の丘は絵葉書の世界。
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美馬牛峠からの眺めは絵画のようでした。

#46 北海道紀行 羅臼クルージング

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2015年7月18日土曜日
北海道7日目

今回の北海道紀行で登山はやり尽くしたのでこれからは、観光スポット巡りとなるのでいささか気が楽になる。
あの狂喜の宴よりアルコールが残っているが、まぁ楽しかったからよしとしよう。

今朝5時に宿を出て羅臼国後展望塔から夜明けのオホーツク海に浮かぶ国後島を眺める。
あれが日本の領土だったと思うと感傷的になる。
北方領土はいつ返還されるのかと考えつつ、国道87号を海沿いに沿って走り、30分ほどで相泊温泉に着く。

この温泉は、海岸の中にある。
目の前に海を眺めながら温泉に浸ることができる天然の露天風呂は最高だった。
眼前に広がる国後島択捉島を眺めると、不思議と北方領土が返ってくるような感じだ。

不思議だなぁ。実に気持ちいい露天風呂だ。

あんまりのんびりすると、民宿の朝食に間に合わなくなるので30分浸かって急ぎ足で民宿に戻り、なんとかオーナーのななめさんに怒られずにすむ。

朝食をすんだ後は、オーナーに再会の約束をして別れを告げ、知床ネイチャーズクルージングに乗船する。知床の海で泳ぐシャチとイルカを見たいのだ。同時に海から見上げる知床連山も見たい。

今日は快晴で風もなく、絶好のクルージング日和だ。
出港後、舵を握る船長の巧みな話術に乗せられて、シャチとイルカが泳ぐスポットを誘導してくれた。ほどなくスポットに行きつくとシャチがスイスイ泳いでいる光景に乗客が歓声があがる。
また、知床連山をバックに海鳥のクロアシアホウドリが船の周りに彷徨く光景も実にいい。

気持ちが安らぐなぁ。

船が、ロシアとの国境線ギリギリのところに止まる。わずか50km先が国後島だ。

なんとなく緊張感が走る。
国後島よ日本に帰れ!自分は心の中で叫んだ。

楽しい知床の旅はこれで終わりだ。
いよいよ明日で最終日だ。
国道352、241、38号を走り、南富良野に向かう。今晩は山部自然公園太陽の里で車中泊だ。

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羅臼国後展望塔からの展望です。
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相泊温泉に浸かって国後島を眺める。
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船から知床連山を見上げる。
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クロアシアホウドリと知床連山
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クロアシアホウドリ国後島
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シャチに大興奮です。
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羅臼岳羅臼町よ楽しい日々をありがとう。また来るぜよ。

#45 北海道紀行 トキシラズ祭り

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2015年7月17日金曜日
北海道6日目
民宿「とおまわり」連泊

今晩はトキシラズ祭り😆🎶✨

まずトキシラズとは、地元での春から夏にかけて獲る貴重な魚で、最高級の北海道天然の時鮭です。
焼くとジュージューと鮭汁が滴り、最も美味しい鮭といわれています。

オーナーのななめさんが、トキシラズの半身を刺身、半身を塩ふり焼き、
それとアラでの炊き込み御飯にイクラを乗せた腹子飯😁✨✨ 絶妙な味で美味かです。

22時過ぎに地元のYちゃんの友達からのお寿司の差し入れ!✌️

ただ食べても面白くないんでオーナーの発案で、
勝ち抜きじゃんけんで勝者が、好きなお寿司を食べることにしました(笑)

まず、オーナーと全員が、じゃんけんして勝った人達で一人が勝ち抜くまで・・・

食べれた人もまた参加してじゃんけんできます。

大変に盛り上がりました。
オーナーのななめさん、楽しい宴会を催してくれてありがとう❗忘れられない一夜になりました☺️☺️☺️ また来るぜよ❗

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3.9kgのトキシラズは特大サイズです。
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豪華寿司の差し入れに感動。
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途中勝ち抜きのじゃんけんポイです。
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最初の勝者TさんはウニをGET!
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Yちゃん ウニが残っていて良かったね!
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食べ物がかかると盛り上がります!
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寿司がなくなり、宴会は0時過ぎてもこの盛り上がり。
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小生はまぐろ寿司をGET!
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左がオーナーで右が羅臼の民宿を経営しているエゾバフンウニさん。兄弟ではありません(笑)
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2011年8月に「とおまわり」に泊まりました。お腹出て太り過ぎだわ。

#44 北海道紀行 羅臼岳

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2015年7月17日金曜日
北海道6日目

前夜の民宿「とおまわり」夕食後の宴会の余韻が残りつつ、2時30分に宿を出てハンドルを握り、知床横断道路を走り、国道93号から岩尾別に入り、木下小屋前の路肩で駐車する。
なんとか路肩に駐車することができ、安堵する。
少しづつ闇が消え、登山道の小石がかろうじて見える。

今日は、標高1661mの百名山である羅臼岳に登る。

素早く身支度して登山モードに切り替え、4時に登山口を出発する。
肝心の天気予報であるが、前日のウトロ町の婦人館食堂のおばさんの情報では、北西の風が吹くと晴れの傾向が強いという。
天気図に目をやると網走からウトロ方面に北西風がある。よって今日は晴れであろうと信じて前へ進もう。

広葉樹林の中を登りジグザグの急斜面を登るとオホーツク展望に着くもガスで何も見えず。
さらに前へ進むと羅臼岳の雪渓からくる冷たく豊富な水が流れる弥三吉水でボトルを満タンに汲む。
まだ一面はガス状態で見えず、更に進むと大沢雪渓の入口に着く。

ここからおよそ800mの急勾配の大雪渓を慎重に登る。アイゼンを用意していないのでしっかりステップしないと一気に底に落ちて大怪我する。
今回のハイライトのルートだ。
慎重に踏み入れては、グラッと体が傾きかけ、バランスを崩すしては体重移動で力一杯踏みとどまる。もはや後戻りできない状況下で心の中は泣きたくなる心境であり、恐怖を久しぶりに感じる。

極度の緊張感は、1時間で解放されて雪渓を抜け出し、羅臼平に着くとご褒美にガスが晴れる。
前方にオホーツク海に浮かぶ国後島が横たわっている。
ここまで来ると羅臼岳への絶壁の登りを2時間耐えしのぐとついに10時過ぎに羅臼岳頂上に立った。

羅臼岳から眺める展望は遮ることがないパノラマ展望に興奮する。
遠くに知床半島の先端までくっきり見え、網走、ウトロ、羅臼湖、知床五湖野付半島、別海等がはっきり見える。
この絶景に自分はテンションが上がり、しばし立ち尽くす。

もうどこにも行きたくない。
下山したくない。
このまま寝そべってみたい。

そんな心境だった。

今回の北海道の百名山登山はこれで終わるが、台風の中をめげすに登った利尻山、悲しいかなガスの斜里岳、快晴の雌阿寒岳、そして今の快晴の羅臼岳の頂上に、確かに自分はいる。
今年の北海道の夏の天気は読めずに翻弄されたが、最後まで諦めないでよかったと心底思い、つい熱い涙がこぼれる。

自分は今回の北海道百名山を通して最後まで諦めない精神力を得た。
これを実社会に繋げるようにしたいと思う。

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恐怖の大雪渓はビビりまくりでした。
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羅臼平から見上げる羅臼岳はでかい。
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羅臼岳頂上からの眺望です。
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岩尾別温泉でひとっ風呂。気持ちよかった。
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知床五湖から見上げる知床連山です。右端の山が羅臼岳です。
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今晩も民宿「とおまわり」連泊。今宵は大宴会でハッスルするぞ!

#43 北海道紀行 雌阿寒岳

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2015年7月16日木曜日
5日目

6時過ぎに空を見上げると分厚い鉛色に覆われた曇空が阿寒湖一面を支配していた。
無風の中に小鳥が元気に囀ずる。
他登山者は我を先にと登山口に向かっている。

自分も遅れず出発しようとした矢先に隣に駐車した50歳代後半の男性に「今日の天気はどうですか。」と声をかけられる。
振りかえると、奥さんと二人でこれから雌阿寒岳に登るようだ。
空が重々しく、陽光が出る気配がないので心配だと。

「今は全く晴れる気配がありませんが、9時30分過ぎに晴れるようですよ。」と自分が言ったらお二人も安堵した表情をしていた。
車ナンバーを見ると長野方面のようだ。
行きルートは異なるが、よい山旅であるようエールを送る。

今日は標高1499mの百名山である雌阿寒岳に登る。

登山口を出てアカエゾマツの森の中に登り、雌阿寒コースを行く。
最初から急登だが、涼しいので汗かいても気持ちがいい。
三合目を過ぎるとハイマツのトンネル状態が続くが、すでにガスの中で、前方5m先は何も見えない。
風が少しづつ強まり、小雨がぱらつく。
利尻山に登るあの時の天候状態に似て嫌な予感がする。

4合目過ぎたら森林限界を越え、本来ならば眺望を見渡せるはずであるが、何も見えず、霧の中に自分はいる。
相変わらず急傾斜が続き、真っ白の中を登ると8合目あたりから岩場に変わる。
この岩場の傾斜がきつい。
我慢を重ねて着実に高度を稼ぐと、ほどなく雌阿寒山に7時30分過ぎに着いたが、ガスで何も見えないのでがっかりする。

現地情報では9時30分過ぎに晴れるとの情報を信じるしかない。
といってもここで2時間待っても体が冷えるだけなので、とにかく体を動かして時間を潰すしかない。そこで予定外の阿寒富士に登ることに決めた。
往復2時間なのでよい時間帯だ。

阿寒富士は名前通り富士の形をしており、標高1476mあり、決して侮れない山だ。
阿寒富士への登りは、砂利道で柔らかい土の急斜面で登りづらいが、なんとか堪えて頂上に立つと雲が流れて青空が見え、ようやくガスが晴れた。
阿寒富士から見た眺望は大雪山を初め日高山脈、知床連山を見渡すことができた。

しばらくすると、駐車場登山口で会話したあの夫婦が満面の笑みで登頂。
「予想通り晴れてよかったですね。」と奥さんから声をかけられ、「やっぱり9時30分過ぎに晴れましたね。」と自分は言った。
距離が縮まったご夫婦に山頂記念撮影を交換しあった。
仲のよいご夫婦で羨ましい限りだ。
先日は羅臼岳に登頂し、快晴で眺望が最高だったと笑顔が素敵なご夫婦。
自分は明日羅臼岳に登るといったら笑顔で返してくれた。

このご夫婦とは、帰りの登山口でばったり会い、また帰りの苫小牧からのフェリー乗船も再会することになるとは考えもしなかったのである。

雌阿寒岳からの眺望も見れたし、あとは知床半島羅臼町で民宿「とおまわり」で魚料理をたくさん食べようぞ。

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阿寒富士頂上にて。
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雌阿寒岳頂上にて。
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オンネトー湖より左が雌阿寒岳、右が阿寒富士。
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羅臼町民宿「とおまわり」は全国からのライダーが多かった。

#42 北海道紀行 斜里岳

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2015年7月15日水曜日
北海道4日目

今日は標高1547m百名山である斜里岳に登る。

清岳荘登山口から5時30分過ぎに出発して林道を20分ほど歩くと一の沢川に合流。
昨日に山情報交換した登山者のいうとおり水場がある。ここで水を満タンに補給する。

一の沢川に沿って進むと何度も飛び石づたいを歩く。この飛び石にスリップしないよう細心の注意を払う。
かなり神経を使うので精神的に疲労する。

ほとんど沢登り状態を30分進むと旧道と新道の分岐点である下二股に着く。
ここから新道を選択するが、急登の連続で我慢をし続けると熊見峠に登りきり、ここからの上二股までの尾根は一気に視界が開けた。
遠くに斜里町とじゃがいも畑一面が見える。
前方は斜里岳が少しづつ顔を覗かせる。
まだまだ先のようだ。

気持ちのいい新道尾根を40分ほど歩くと上二股に着き、いよいよ斜里岳まで1時間だ。
焦る気持ちを押さえて一歩づつ確実に登山道を踏みつける。
馬の背というやせ尾根に着くと、なにやら雲の動きが激しくなり、視界が遮られてしまった。
東から流れる風が強い。
おそらくガスの中にいるのだろう。
ほどなく30分ほどで斜里岳山頂に立つ。
コースタイム3時間の登りを2時間で登頂も大展望がない。

太陽が雲間に隠れている時間が多く、陽光が差し込んだ瞬間は雲が途切れて瞬時に展望が見えるだけだった。
1時間粘り強く待ったが、天候が回復しないとみるや、そそくさと下山する。
まぁ途中過程までは展望を見れたし、これでよしとしようと気持ちを切り替え、次の阿寒岳登山口に向かう。

国道391から241に乗り換えて雌阿寒温泉公共駐車場に17時過ぎに着く。
明日の雌阿寒岳登山者で早くも駐車場満車だ。気になる明日の天気は、曇り後晴れ予報だが、問題は何時にガスが晴れるかだ。
この答えは登山者の誰も知らない。
現地情報では、9時30分過ぎとの情報を得た。

利尻山斜里岳と連敗続きなので今度こそ晴れてくれと念じる。

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一の沢川を沢登りします。
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野峠からの新道尾根は見晴らしが良く気持ちいい。
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斜里町とじゃがいも畑が見えます。
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雪渓を登ります。
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斜里岳が間近に迫ってきました。
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新道尾根の稜線です。
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馬の背から見た斜里岳
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ついに斜里岳登頂。
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やれやれ無事に下山しました。

#41 四阿山

2020年6月7日日曜日 晴れ

今日は長野県の菅平高原の奥座敷にある標高2354m百名山である四阿山(あずまやさん)に登る。

地元の歴史によると戦国時代に活躍した真田一族が崇拝した山とも知られているようである。
2時30分に自宅を出て信越道高速道路に乗り菅平高原上田インターに降りて5時40分に菅平高原に着く。

登山モードに切り替えて6時に登山口を出て菅平牧場を横目に白樺が林立する登り道を進むと、笹が倒れるように生い茂る。
その笹から抜け出して岩稜に着くと菅平高原の街並みが一望できる高さまで登りきる。
この岩稜は傾斜が強く息切れすることもあるが、なんとか凌いでまずは、標高2207m根子岳をコースタイム2時間を1時間30分で着いた。

根子岳から四阿山までの眺めは爽快で実に気持ちがいいが、肝心の四阿山がガスで見えない。
おそらく山頂付近は、温度が一定以下であり、太陽が雲間に見え隠れして温度が上がらないので、山頂周辺はガスが発生していると思われた。
今日の風の流れと雲の動きからすると、9時30分過ぎに太陽の熱量が放出して地熱温度が上がり、ガスがなくなると予想した。

今の自分の登山ペースだと山頂に8時30分過ぎになる。
早く着きすぎる故にガスの真っ只中にいるので展望は期待できなくなる。
そこで山頂に9時30分過ぎに到着できるように登山ペースを極端に落として歩くことに変更する。

根子岳からの四阿山へのルートは一気に下降してしばらく草原を歩き、また、四阿山への急傾斜を上がり、山頂9時30分過ぎに着くと、思惑通りにガスが一気になくなり、360度の大展望が待っていた。
北アルプス、特に槍ヶ岳、白馬三山、鹿島槍ヶ岳爺ヶ岳がくっきり見えて登山者の歓声が上がった。一面の青空が澄んで残雪がキラキラ輝く光景が印象的だ。

早く山頂に着いた登山者は、これらの光景を見ずに下山する方も多くいたので、もったいない感じがした。
これも今までの経験からくる体で覚えた天候の読みが当たったことは、馬券が当たるより嬉しいもんだ。

山頂からの見事な見晴らしで気がついたら1時間そこで過ごしていた。
間に合わせの朝食と昼食を兼ねた、おにぎりを食いちぎったあとは、小四阿経由で登山口までに下山する。
下山途中に登りの若い夫婦に行き会い、奥さんが何か話かけてきた。
後方の山肌に熊が三頭走り出したのを見たという。まさか熊に遭遇とは予期しなかった。
お互いの安全無事をご祈念し、登山口に13時15分に戻った。

下山後は恒例の地元の町営風呂に浸るのだが、コロナの影響で自粛することにした。
時間があるので上田市内にある真田氏歴史館で一族の古文書、武具展示を観賞する。

観賞後は20年ぶりに旧軽井沢の銀座通りを闊歩。日曜日だというのに人通りが少なく寂しい限りだ。あの当時は、ラッシュアワー並みに混雑した記憶がある。
これもコロナ影響かと思うと残念だ。

早くコロナ終息して景気を明るくしてほしいと切に思う今日この頃だ。

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根子岳への登りは急勾配です。
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根子岳山頂から見た四阿山への稜線は爽快ですが、四阿山はガスに隠れて見えません。
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四阿山山頂はガスが晴れて根子岳北アルプスが見えました。
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新潟にある焼岳、火打山妙高山
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三角の形が槍ヶ岳
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前方は松本方面の美ヶ原高原。
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物思いに耽る自分です。
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菅平牧場のひとこまです。
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白樺の林立も若々しい。
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真田一族の知略は凄かったなぁ。
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旧軽井沢の銀座通りは閑散としていました。商店街の方々はコロナに負けないで頑張ってほしいなぁ。

#40 北海道紀行 宗谷 小清水 斜里

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2015年7月14日火曜日
北海道3日目

今日は明日の斜里岳を登るための移動日である。
斜里町には17時までに到着して明日への備えをしたい。

厳しかった台風11号は、のらりくらりと樺太方面へ北上したようだが、朝からどんよりとした雲が流れてカラッとした晴れではなかった。
晴れていれば利尻島を一周してチャリンコしたかったが、そのような雰囲気ではないので、その分を道東でゆっくりしようと方針を変えた。

次回こそは、☀️マークの下で利尻山に登ろうと気持ちを切り替えて稚内港に降り立ち、国道238号で宗谷岬へ走る。
11時過ぎに宗谷岬に立つと、遠くに樺太の島影が見えた。
江戸時代に樺太を渡った間宮林蔵銅像が、樺太方面へ凝視する姿が印象的だ。
ロシア領土となった樺太間宮林蔵の胸に去来するものはなんだろうか。

宗谷岬から宗谷丘陵へ向かうと、広大な牧場に80頭以上はあると思われる宗谷牛が牧草を食んでいた。黒茶色の毛が夏の日差しに照らされて眩しく感じるのはなぜだろうか。
とても宗谷牛ステーキを食べる気にもなれなかった。

オホーツク海を眺めながらのドライブは、実に快適だった。
天候は回復し、オホーツク海が真珠のように光輝く光景は、なんとも形容し難いものがある。

ついつい口笛を吹いて心が踊る。
そんな心境だった。

猿払村を通りすぎ、北オホーツク道立自然公園に入ると、民家も人影も対向車もない、原生花園を真っ直ぐに貫くエサヌカ街道を走る。
この街道は、まるで原生花園に吸い込まれるようにして先の道が消えていく光景にしばし立ち尽くした。時間が正気の自分を目覚めさせる。

ふたたびハンドルを握り、クッチャロ湖から、枝幸町紋別市サロマ湖、能取岬へとオホーツク海を眺めながらさらに南下する。
能取岬は夏休みに家族旅行で来たことがある思い出の場所で懐かしく感じたし、その光景はその当時も変わっていないことが嬉しい。

ほどなく小清水原生花園に着き、1時間ほど散策する。釧網本線オホーツク海をバックに原生花園の中を走るその姿は、まさに哀愁が漂ってさまになっている。
多くの鉄道ファンが群がってシャッターチャンスに余念がない。

そうこうしているうちに斜里町に着く。
夕食の弁当をコンビニで買い、車を森の奥地まで走る。
斜里岳の登山口である清岳荘に18時過ぎに着く。今日の走行距離は、400km弱で精神的にクタクタである。
清岳荘の駐車場は全国から殺到して満車状態だ。

徳島から来た登山者と天気、山情報を交換しあった。自分は、うかつにも水を忘れてしまった。
清岳荘周辺は水場はないが、明日の斜里岳登山途中に沢がいくらでもあるので心配無用だという。
その言葉を信用し、先ほど購入した、カツ丼弁当を頬張り、ビールを飲んでシュラフに潜りこむ。

明日はどうか晴れますように☺️

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利尻島よ 次回は晴れの日に来ますね。
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間宮林蔵宗谷岬
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宗谷丘陵でまったりしました。
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エサヌカ街道は真っ直ぐでした。
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黄金色の麦畑がたまりませんね。
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能取岬とオホーツク海
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小清水原生花園釧網本線
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明日登る斜里岳の山容はどっしりと横たわっていて貫禄がありました。

#39 北海道紀行 利尻山2

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2015年7月13日月曜日
北海道2日目

けたたましい雨音に痺れを切らし午前4時30分過ぎに起床。

避難小屋の宿泊は自分一人だったことに気づき少し違和感を感じる。
人気のある利尻山で天候が雨故に小屋泊りが一人なんてことがあるのだろうか。
コッフェルに湯を沸かしてカップヌードルを黙々と食べる。
登山者がいないことが寂しさを通り越して不気味さを覚える。

雨具を着て5時過ぎ避難小屋を後に出発する。まだ一面暗いのでヘッドランプを着用して登る。
順調にいけば7時に頂上に着くはずだ。雨が鞭を打つように強い。
まるで登頂を阻止するかのように凄まじい強風と大雨だ。さすがに台風上陸するだけの威力はある。
自分はなんとしても登頂するんだという強い気持ちで台風にめげずに前へ進む。

ヤマハイノキの急斜面を上がると9合目に着き、頂上まではあと1時間だ。
山頂に近づくにつれて傾斜がさらに増していく。
赤土が多く、雨でぬかるんで登山靴が思うように上がらない。
風はおさまる気配もない。

岩の急ガレ場にロープがあり、慎重に登る。
ほどなく一帯がリシリゲンゲ、リシリリンドウ等高山植物が広がっているが、ゆっくり眺める余裕もない。
最後の急斜面を渾身の力でふりしぼり、ついに利尻山頂上に立った。

残念ながら予想通り、雨と強風で展望はゼロだった。
晴れていれば真向かいの礼文島稚内日本海が見えるはずだった。

残念無念。
悔しい。

確かに踏破したことを証明するために利尻山山頂道標を手に持って自撮りする。
高山植物に目をやる余裕ができたのでシャッターを切る。
でもここも登山者がいないなぁ。

山頂で15分過ごして7時30分過ぎに下山する。
昨日に登ったコースをそのまま戻るだけだ。
約4時間で登山口に着く予定だ。
7合目あたりから雨が上がり、雲が湧きあがってきて、周囲の山々が眺望できるようになり、心が弾む。実に気持ちがいい草原だ。

ところで、下山途中も登山者に行き合わないとはどういうことだろうか。

経験上、人気のない山でも登山者に行き合うのは自然であり、しかもここは、百名山利尻山だ。
自分一人が独占している感じでもある。

ほどなく登山口が見えた。
やれやれと安堵した時になにやら登山口の前に通行止めのロープが張られている。
標識には、「台風により入山禁止」とあり、日付が7月12日14時となっている。

謎が解けた。

自分が入山したのは、当日の13時30分過ぎだったので通行止めのロープはなく、そのまま登山できたのだが、14時以降は登山者は、入山できないので道理で行き合うことができなかったのだ。
そういうことだったのかと妙に納得した。

ということは、記念すべき2015年7月13日の利尻山登頂は、自分一人だけということか。
なにやら岳の映画の世界だな。
こういうのも記録に残るのかなとおかしなことを呟く。

その後は、雨で濡れたティーシャツ、ズボン等を町営風呂で乾燥して、ひとっ風呂する。

そして今晩泊まる民宿夕陽館でご馳走さまだ。

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