2024年3月17日日曜日
以前から青空の下で東急世田谷沿線を散策したいと思っていた。
なかなか優先順位、時間と都合がつかず行けずじまいだったがようやくこの日を迎えた。
世田谷線は下高井戸から三軒茶屋まで10駅あり、約5kmの距離で18分で乗車できるわずか2両編成の電車で電車賃は一律160円の手軽さだ。
車両の色は緑、オレンジ、ピンク、黄、意味深の招き猫等多様なカラフルで彩られ目を楽しませてくれる。
まさにレトロ調のかわいい電車だ。
招き猫は以下の写真にて説明があるのでここでは省略。
世田谷沿線は歴史とグルメを楽しめる散策だった。
それでは以下をご覧ください。
9時10分に吉祥寺から井の頭線に乗って明大前で下車。
京王線に乗り換えて下高井戸駅に行くことも考えたが、母校の明大和泉校舎を見たくて明大前で下車。
明大通りを歩くと左手に友人が経営しているおしゃれな店のZOAMの看板に目が留まる。
昨年12月に芸能人香坂みゆきをはじめライブがこの店で行われた。自分も招待されて行く気満々だったが折りからの体調不良で不参加。
次は体調整えて参加するぞ!
懐かしき和泉キャンパス。
あの当時とは打って変わってきれいなキャンパスに感動。
懐かしい噴水広場は残っていました。
撤去しないで残してくださいね。
第2校舎の名称がラーニングスクウェアに変わっていました。
展望を楽しむためにエレベーター7階に乗ります。
こんな感じの大展望でした。
学生の頃はこのような大展望を望める場所はなかったような。
和泉キャンパスから京王沿線沿いに歩き下高井戸駅に向かいます。
10時過ぎに始駅である下高井戸駅に到着。
最初の世田谷線はブルーでした。
下高井戸駅から松原駅に向かうと今度はレッド車両だ。
山下駅に向かうと緑とクリームの車両電車。
山下駅前にある長崎五島列島のばらもん揚げを楽しみにしていたのに今日はお休みとは残念。
山下駅から豪徳寺駅に向かう途中に渋いコーヒー屋さんがある。自ら豆を煎じるので香り高くレギュラーで400円とはお手頃だろう。
豪徳寺駅までは賑やかな商店街が立ち並ぶ。
これは珍しいやきいも専門店。
豪徳寺に到着。
かなり人が多いと感じるので何かお楽しみがあるのかな。
ここは猫登る三重塔で十二干支の他にいくつかの猫が飾られているようです。
全部で何体あるのかな。
招き猫銅像
招き猫がたくさん飾られています。
外国人観光客が多いので驚きました。
招き猫を手に入れるためにこの行列。
ほぼ外国人観光客で占めています。
ここで招き猫の由来を資料から一部抜粋して説明します。
彦根藩主の井伊直孝が鷹狩り帰りに寺の門前にいた猫の手招きされて立ち寄る。
寺で過ごしていると突然雷が鳴り雨が降りはじめる。
雷雨を避けられた上、和尚との話も楽しめた直孝はその幸運にいたく感動。
豪徳寺は直孝に支援され寛永10年(1633年)に再興されて今日に至る。
なかなかのいい話しだと感じた。
次は宮ノ坂駅に着くと電車が保存展示。
旧玉電デハ80形らしく、玉電全線で活躍。
江ノ電では601号として世田谷線の車両を利用して活躍したそうだ。
この保存展示は中に入ることができます。
宮ノ坂駅から上町駅に向かう途中に世田谷城址公園に行き着く。
この公園は東京都指定文化財に指定された歴史公園。
昔、南北朝時代に吉良氏が築城した世田谷城は2百年の間、吉良氏八代の居城として栄えたそうだ。
世田谷城の面影が残る土塁、空堀が見受けられた。
少し高台に登ってベンチに腰かけてここで弁当ランチタイム。
風も心地よく、住宅街の中にあっても落ち着いた場所だ。
歴史を訪れる人の姿もいてとても良い空間だった。
上町駅ホームに立って手招き猫の電車をパチリ。
幸福の招き電車は1時間に1本か2本だそうである。
上町駅から世田谷駅に向かう途中に台湾料理店の鹿港(ルーガン)の前にこの行列はなんたるや。
肉まんが美味しいらしく、テイクアウトするために並ぶんだって。
世田谷代官屋敷付近にあるボロ市通り。
ボロ市は毎年12月15日、16日と1月15日、16日に開催。
資料によると、ボロ市の由来は小田原城主北条氏政がこの地に楽市を開いたのが始まりで400年以上の歴史がある。
当時は古着、古道具など農産物等を持ち寄り、ボロ市と名前が付けられた。
現在は骨董品、古本、中古ゲームソフトを売る露店でこの通りに約700店露店が立ち並ぶようである。
今年の12月に再訪してお宝を掘り出すとするか。
世田谷代官屋敷は国の重要文化財に指定。
江戸中期から代々世田谷領の代官を務めた大場役宅で大名領の代官屋敷は都内唯一で希少価値が高いと資料に記されていた。
世田谷区立郷土資料館は世田谷の歴史を知る上でとても勉強になった。
案内ボランティアが多く賑やかだった。
松蔭神社駅から松蔭神社に行き着く。
松蔭神社社殿
知る人ぞ知る吉田松陰は幕末の思想家、教育者で松下村塾から高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋等が大きく育ったことはあまりにも有名である。
松蔭は30歳の若さで安政の大獄で刑死。その4年後に門下生の高杉晋作、伊藤博文等によって世田谷若林の地で改葬された。
墓前に手を合わせて合掌。
国士舘大学キャンパスは日の丸が翻っていた。
若林駅に向かう途中に隠れ家的なラーメン屋に遭遇
環七通りの若林一丁目の歩道橋から世田谷線を眺める。
踏切がない路面電車に一種の驚き感と不思議感が交互に交錯。
最後の立ち寄りとなる太子堂八幡宮。
樹齢500年超えの御神木はまだ健在である。
14時40分。
ようやく最終目的地である三軒茶屋にゴール。
帰りは下高井戸駅まで世田谷線で乗車。
心地よい振動リズムで寝てしまいました。
今日も健康であることに感謝です。
本日の距離数15.54km 徒歩時間5時間17分