#49 北海道紀行 日本海上

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2015年7月21日月曜日
秋田を通過した新日本海フェリーのデッキにて

「よう!また会いましたね!」

振り返ると、阿寒富士頂上で居合わせた長野県から
いらした60歳前後のご夫婦だった。
新日本海フェリーのデッキで司馬遼太郎の「北海道の諸道」を読んでいた自分は、偶然の再会を喜んだ。
真夏の日差しと潮風を全身に浴びた自分は、本をテーブルに置いてご夫婦と向き合った。
旦那さんは岡田真澄似の渋い顔立ちで、奥さんはチェリッシュに似る可愛い素敵な方である。

「どうぞおかけになってください」というと、ご夫婦は満面の笑顔で自分の前に座る。
お互いに北海道の情報交換から少しずつ現実の世界に入っていく。

「ところであなたは普段は何をされているのですか」と旦那さんから訊かれたので「ごく普通の電機メーカーで事務管理の仕事をしている」と自分はこたえた。旦那さんは「自分も同じだ」という。すると旦那さんは自分のことを延々と話する。
要約すると、以下となる。

若い時は週末に山登りの日々を送り、その趣味が高じて就職先も登山できる環境を探して諏訪市に本社を構えるE社に就職した。
もともとは都内に自宅があるが、やっぱり山が好きなので家を出て諏訪市内に居を構えた。

大学はW大学理工学部を卒業し、エンジニアからスタートしたが、途中から営業に配属となる。
入社後も週末は山登りの日々で仕事より山が忙しかった。今のおかみさんとは、八ヶ岳登山の時に牧場で知り合った。山の縁で結ばれて山に感謝している。子供も3人恵まれ全員独立している。
40歳代に都内の地元のT高校同窓の登山部仲間からヒマラヤ登山を誘われた。

何度も会社にヒマラヤ遠征の許可申し出をしたが、幾度も却下される。これが最後の申し出として粘り強く申し出を行ったところ、ヒマラヤ遠征に行くなら出世はないぞと上司にいわれ、それで結構ですと返事してヒマラヤ遠征の許可をもらった。
ヒマラヤ遠征は60日間ほど会社を休んで実現。

自分の人生とは何か、何を生き甲斐にするかを考えた時、出世競争に明け暮れる会社人生になりたくないと。
自分の趣味を生かして人生を輝やかせることが大事であると。
人生とはそういうものだと熱っぽく語る姿が印象的だった。

もうまもなく60歳定年を迎えるが、雇用延長の希望はなく、リタイアして自分の畑に野菜を作ったり、適度にバイトしながら、おこずかい稼ぎしてかみさんと共に山登りを楽しみたいと。

ヒマラヤ遠征しなければ学歴からしても間違いなく役員まで昇格する人材だと思うが、「人生とはそういうものだ」と語る真剣な眼差しが印象的だった。
好きなことをやり続けることは幸せなことだとつくづく感じた。人生のお手本にしたいと思った。

北海道でさまざま人に出会い、触発を受け、忘れることができない旅行となった。
北海道に感謝したい。

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フェリーから苫小牧港を眺める。
また来るぜよ!