2023年7月14日金曜日
かみさんのスケジュールに合わせて14時金曜日を年休取得し1泊2日で信州越後旅を決めた。
とはいうものの、梅雨前線が日本海に張り巡らして秋田は災害級の土砂崩れ、冠水状態。
天気予報も雨☔️、曇で☀️マークがない。
流石にいたたまれず、宿泊キャンセルを考え宿に電話したら2日前キャンセルは50%支払いだという。
かみさんが観光を期待しただけに、雨覚悟で旅を決行した。
自宅に8時過ぎに出発し、圏央道、関越道、信越道を走り、上田菅平インターに降りる。
予定通り11時20分過ぎに着いたので、蕎麦を食べるべく、
信州蕎麦の草笛 上田お城店の立派な門構えを潜る。
営業時間は11時であるが、平日にもかかわらず、お客がそこそこいた。
おかみさんはせっかくなんで普段は食べれないくるみ蕎麦、自分は野菜天ぷら蕎麦を注文。
待つ意識がなくほどなく蕎麦がテーブルの上に置かれてた。
かみさんは初めて食べるくるみ蕎麦が美味しいと満足気に食べる。
自分が食べる蕎麦はそこそこボリュームがあり、野菜天ぷらを蕎麦つゆに足して実食。
その味は美味しゅうございました。
蕎麦屋の女将さんに駐車許可をもらって横断歩道を渡って目の前にある上田城址を散策する。
上田城といったらテレビでよく放映されている眞田一族が築き上げた城で有名である。
資料によると上田城は天正11年(1853年)真田昌幸によって築かれた平城である。
堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城であるが、第一次、第二次上田合戦で徳川大軍を撃退し、天下にその名を轟かせたと記述がある。
上田合戦を詳述すると、第一次上田合戦は天正13年(1585年)7000人余の徳川軍が上田城を攻め入り、対する真田軍は2000人足らずにもかかわらず真田昌幸の巧みな戦術で徳川軍を撃退。
第二次上田合戦は慶長5年(1600年)9月に、西軍(石田方)についた昌幸と信繁(幸村)は上田城に立てこもり、中仙道を西進する徳川秀忠軍と戦う。
38000人の徳川軍に対し、真田軍はわずかに2500人。
軍事力の差をものともせず、徳川軍に大きな損害を与えて撃退との記述がある。
圧倒的な軍事力の差にもかかわらずなぜ真田軍が勝ったのか、実に興味深いものがある。
資料では巧みな戦術、頭脳作戦と謳われているが真田昌幸を補佐する人材が優秀であったこと。
さらには上田城を絶対に明け渡さない強い信念が兵軍及び民衆の力が底知れぬものがあったと推察される。
力ずくで抑えこみに入っても民衆の魂を奪い取ることはできないことは歴史が証明している。
今のウクライナ🇺🇦とロシア🇷🇺の戦争にも似ている。
所詮は軍事力ではなく、絶対に勝つと強い気持ちがある民衆パワーが勝るといえるだろう。
さて話が飛んでしまったが、上田城址散策の後は、車で20分ほどにある別所温泉のあいそめの湯泉♨️に、入浴。
資料によると別所温泉の泉質は肌を溶かして古い角質層を軟化させ、その効用で肌がすべすべになるという弱アルカリ性の記述があった。
この湯は自分の体質に合っている。
これまで入浴した温泉の中でも5本の指に入るのでは。
広い露天風呂からは塩田平、上田市街を眺めながらゆったりくつろげる。
まさに極楽湯だった。
そうこうしているうちに15時過ぎになってしまった。
安曇野に訪れるのは10年ぶりくらいだろうか。
田んぼから見上げる北アルプスの燕岳、常念岳、蝶ヶ岳が迎えてくれた。
田んぼから見る山風景は変わらずだ。
今回で安曇野は4回目だろうか。
その分だけ土地勘があり、記憶で車を走らせる。
懐かしの穂高駅だ。
10年前に穂高駅前から早朝バスで燕岳登山口まで行き、燕岳に登った記憶が蘇る。
あれから10年経つのか。。
山に燃えたあの時代に戻りたいものだ。
さて今晩の宿は古民家の民宿ごほうでんだ。
過去に宿泊したことがあるので全体配置、展示品は覚えているぞ。
さぁ夕食バイキングで食べて食べて食べまくるぞ!
https://nagano-ueda.gr.jp/uedajo/
ごほうでん