2026年8月28日
5時過ぎに起床。
しっかり朝風呂に浸り、フロント備え付けの新聞を読みながら時間を潰す。
7時前にバイキング会場に向かうと、
早くも宿泊客が立ち並んでいた。
適当なテーブル席を確保して、
いざバイキング戦闘開始だ。

朝のバイキング料理はこんな感じでチョイス。
これは珍しいおにぎりライブキッチンだ
お二人の呼吸はピッタリで、
効率的に手作りでおにぎりを握る。
会津米のおにぎりは美味し!
日本の朝和食はこの組み合わせが、
自分とって安心感がある。
最後にカレーライス。
コクがあり深みがあって美味しゅうございました。
ホテルジュラクを9時過ぎに出発。
ほどなくして、
フルーツ街道の一角にある、
あづま果樹園に立ち寄り、
桃と梨をそれぞれ1箱づつ購入。

道の駅にも立ち寄る
りんご、梨がぎょうさん並んでいる
桃もたくさんあります。
良い形をした梨
福島の桃は甘くて美味いのだ。

猪苗代湖に向かう途中に梨の実がなる風景に遭遇。
車を停めて梨畑に向かう。
不意に、もぎ取ろうと思ったが、
自制心が働いてやめることにした。
作業している男性に写真許可をお願いしたのだが、
「ワタシ、ニホンゴ ワカラナイ」
と返された。
一見ベトナム風で、5人ほどの外国人が汗を流して
作業していた。
今や日本の農業は、外国人抜きでは成り立たない、
時代を迎えているのだ。
農業も外国人との共同、いや協働を求められている。

のほほんとする、穏やかな風景。
梨畑から日本百名山の安達太郎山が見える。
10年前に登った山なので懐かしく感じた。

時刻は12時前。
猪苗代湖畔に立つ野口英世記念館に立ち寄る。
この歳になってようやく野口英世に会える。
ワクワク感と高揚感が止まらない。

今年で生誕150年の節目の年だ。

野口英世の生家を初訪問。
野口英世の人生を大きく変えた、
当時の囲炉裏がそこにあった。
自分は衝撃を受けた。
小学生の頃に野口英世伝記物語を、
繰り返し読んでいただけに、
衝撃を受けたシーンである。




野口英世の強い決意が感じれる、
魂の入った刻字。
この言葉は、当時の自分を勇気づけられた。
一つひとつの展示資料を見るにつれて
涙が止まらず流れた。
その涙は決してセンチメンタルではなく、
挑戦する逞しさに惚れた涙だったのだと
後で気がついた。




磐梯山の南山腹にある、
標高700mの天鏡台(昭和の森)から
猪苗代湖を一望する。

稲穂と磐梯山の良い感じのコラボが撮れた。
14時過ぎ。
会津若松の鶴ヶ城に立ち寄る。
資料によると以下記述があった。
1384年の築城が起源で、
戊辰戦争の激しい攻防戦に耐えた「難攻不落の名城」として知られている。
平成23年には「赤瓦」へのふき替えが完了し、
幕末当時の姿を再現し、
現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守となっている。
城の中はスライド写真等で順序立てて、
当時の歴史を資料を用いての説明がある。
その中で白虎隊の歴史資料があり、
自分の知識を深めるためにも、ここでおさらいする。
歴史資料では以下の記述があった。
白虎隊は、戊辰戦争の際に会津藩が16歳から17歳の少年たちで組織した総勢300余名の部隊である。
飯盛山の悲劇とは、戸ノ口原の戦いで敗退した白虎士中二番隊の隊員が飯盛山に逃れ、
鶴ヶ城周辺の火災を落城と勘違いし、自刃した。
生き残った隊員(飯沼貞吉など)によって、
その悲劇と忠義の物語が後世に伝えられた。
現在の福島県会津若松市の飯盛山には、十九士の墓が眠っている。
職場で意気盛んな先輩が会津出身の方で、
白虎隊のことを話してくれたことがあった。
会津人は白虎隊の精神が流れている理由が
わかる気がした。


赤瓦とはいえども、色が落ちている感があった。




天守閣から、磐梯山、会津若松市街を一望する。

数々の凄まじい歴史を繰り返してきた鶴ヶ城に、
思いを馳せる。