2021年8月7日土曜日
愛媛 高知 徳島
長かった九州ドライブと山旅は今日で終わりだ。
8時30分に大分の佐賀関港から国道九四フェリー乗船し愛媛の三崎港に向かう。
佐賀関出港 九州よさらば。また来ますね。
後方に祖母傾山群が雲に覆われていたが、海は青空に映えてきれいだ。
昨日登った祖母山は雲に覆われていた。
左側に愛媛側の佐田岬の先端が見えた。
佐田岬半島 懐かしい。
2年前のGWに佐田岬を目指して車を走らせた。
佐田岬駐車場に車を停めて、あと30分歩けば佐田岬に辿り着くところ、運悪く強風と大雨で遭い、断念したことを思い出した。
あの大雨は2日間降り続いたために、愛媛の宇和島方面、高知の足摺岬を回ることができず、四国一周できなかった唯一のドライブコースだった。
今日の天気予報は、愛媛、高知は☀️マークであり、どうやら2年前の雪辱を果たせそうだ。
肝心の台風9号は今日の午後に大分に上陸し、明日は四国に上陸との船内のテレビ放映されていた。
まるで自分の行き先を把握しているかのような台風の動きだ。
台風に捕まらないよう慎重に行動することにした。
予定通り三崎港に9時40分過ぎに着き、大洲、西伊予を抜けて宇和島に11時過ぎに着いて、いざ宇和島城へ。
資料によると宇和島城は、1601年築城の名手である藤堂高虎により築かれ、その後に伊達家9代の居城となっている。
入場券を買って門を潜る。
苔の生えた石段を登りきると宇和島城がドーンと姿を現した。
さほど見上げるほどの高さではない。
城内に入り、3階まで上がると城壁窓から宇和島湾が一望できた。
さすがに軍事拠点を思わせる風景だった。
城内にあった展示品。
山風景を眺めたら、とっさに宇和島みかん畑🍊に行きたいと思った。
宇和島城の受付の男性に訊ねたら、逆方向で40分かかるというので今後のドライブ予定を考え、取りやめることにした。
宇和島の足跡としてJR予讃線の終着駅である宇和島駅で記念撮影パチリ。
次の行き先は四国最南端の足摺岬である。
海沿いの56号を潮風を受けながらのドライブは快適だ。
1時間ほど走ると道の駅「すくも」の看板に目が止まり、喉が渇いたのでドリンクでも買おうと立ち寄る。
すくもは宿毛と書くが、愛媛と高知の県境にある町である。
道の駅「すくも」は風情がありました。
当駅で高知特産の郷土料理、土産が売っていた。
その中で風変わりな柑橘類に目が止まった。
試食するとこれが実に甘い。
冷やすと甘さが広がる味だ。
晩柑と昼弁当。
見た目は、グレープフルーツ🥭に似ているが、皮がやや土色なので見栄えは良くないが味はいい。
売店のおばさんに訊くと「晩柑」といい、高知特産だと言っていた。
迷わず一袋3個入りを買ったらサービスに1個付けてくれた。
おばさん ありがとう😊
道の駅「すくも」を出て足摺岬に向かうと、もう一つの楽しみが用意されていた。
足摺地区にあるジョン万次郎資料館だ。
当然ながら立ち寄り、ジョン万次郎の生涯を再現したパネル資料にくぎ付けとなる。
ジョン万次郎資料館の正面です。
ジョン万次郎が書いたアルファベット文字は必見の価値あり。
ジョン万次郎の人生は、ここで説明する必要がないと思うほどあまりにも有名だ。
幼少時にジョン万次郎漂流記を読んで胸が高鳴ったものだ。
このような数奇な人生なんてあるのだろうか。
小説でもこのような筋書きは誰も思いつかない。
近くに車で5分ほどでジョン万次郎の生家があるというので立ち寄った。
ここは土佐清水市中浜。
そこは当時の生家を再現した、展示向けの家だった。
展示向けの生家と家族写真
実際の生家があった場所は10m先にあり、民家の前に記念碑が立っていた。
生家の記念碑。
なるほどこの場所から海岸まで歩いて5分足らずだ。
ジョン万次郎は猟師の息子としてこの中浜から出船して魚を追い求めていく光景が手に取るようにわかる。
この漁港からアメリカの地を踏んだジョン万次郎。
そして14歳で遭難してアメリカ鯨船に救助され、アメリカの地で英語、航海術を習得後、日本に多大な影響を与えたことは周知の事実である。
目の前に広がっている、この海がジョン万次郎の数奇な人生を歩む海だと思ったら感慨深いものがあった。
余韻も覚めないまま、場所は足摺岬に立っていた。
どうしても行きたかった、四国最南端の岬だ。
2年前は悪天候で断念しただけに、紺碧な海を思い残すことなく眺めて続けた。
断崖に当たる白い飛沫と紺碧な海とのマッチがいい。
立派な銅像だ。
高知は偉人輩出の地でもあります。
十分に放送できる資格はあると思うし、是非実現して欲しい。
次は坂本龍馬ゆかりの桂浜だ。
足摺岬から149kmを走り、2年ぶりに桂浜に立つ。
桂浜の海は爽快なブルーでした。
龍馬は桂浜の海を眺めて何を思索したのだろうか。
あの時の桂浜は、曇り空で海の色が鉛色だったが、今日は快晴で海が眩しいほどブルー一色。
なにやら雪辱した気分だ。
2年ぶりの対面だった。
気のせいかな、以前より迫力感が増している。
コロナ禍で沈みがちな日本、そして吾輩に喝を入れているのが如く。
自分は10分ほど銅像を眺め続けた。
なにか吹っ切れたような感じがした。
龍馬記念館に立ち寄り龍馬の生涯を堪能。2回目です。
龍馬記念館前でパチリ。
龍馬が見た可能性のある世界地図。
龍馬の血が騒ぐ光景が目に浮かぶ。
お腹が減った。
高知名物の鰹のタタキ定食を食べるために高知一の繁華街である、ひろめ市場に参戦。
ひろめ市場は50店舗超えの店が連なり、鰹のタタキ、餃子、惣菜、魚、肉など販売しており、昼間から酒を飲んで高知の名物料理を嗜むことができる。
高知県人のエネルギッシュが伝わる市場だ。
先のジョン万次郎資料館の受付の女性から、ひろめ市場の「明神丸」店の鰹のタタキ定食がピカイチ情報を入手していたのでその店に決めた。
鰹は藁焼きです。
明神丸は繁盛しています。
コロナ禍とは思えないほどかなりの人混み。
食券買っても行列状態なので人気のある店だとわかる。
テーブルを確保していざ実食。
やはり本場の鰹のたたきは違う。
本場の鰹のタタキ定食は一味違います。
藁で焼いた鰹は、口に入れると吸い込まれていくようなとろける味だ。
7切れの鰹もあっという間になくなり、ご満悦だ。
次は徳島のどこかの道の駅で車中泊だ。
まだ13時過ぎであり、観光時間はあるのでとりあえず徳島の大歩危(おおぼけ)を目指す。
大歩危は吉野川を流れる渓谷で、彫刻で彫られたような断崖が8km続き、舟下りの名所にもなっている。
資料によると大歩危の名前由来は、断崖を意味する古語「ほき(ほけ)」からの説と、大股で歩くと危ないから大歩危との2つの説があるようだ。
とにかく断崖の高さも手伝い迫力がある。
断崖を抜ける渓流は見事な景観だ。
舟下りしたらカヌー気分で楽しいだろうな。
大歩危渓谷を楽しみ、次はつるぎ町の道の駅「貞光ゆうゆう館」だ。
今晩はここにするぞ。
15時過ぎに当駅に到着。
またお腹が空いたので2年前に食べたツルツル素麺を再び食べる。
久しぶりの道の駅貞光ゆうゆう館です。
半田素麺は最高です。
あの時と変わらぬ味だった。
つるぎ町は半田素麺が有名な町でツルツル感ともちもち感が半端なく美味い。
2年前にここで食べた縁で、半田素麺を年に2回ほど素麺工場から直送してもらっている。
そこらの素麺とは一味違い、とにかく美味いのだ。
そうこうしているうちに茨城在住の親友からのLINEが入ってきた。
例の台風9号が今晩四国上陸とのことで自分を心配していたようだ。
あらためてスマホで天気予報を確認する。
やばい❗️
今晩から大分から四国へ上陸する予報だった。
ここで車中泊する余裕はない❗️
逃げるように鳴門大橋を渡り、台風9号を振り払うように神戸、名古屋、御殿場、厚木を抜けだし、自宅に着いたのは8日日曜日午前5時30分だった。
結果論であるが、8月2日に開聞岳に登頂した翌日の3日に屋久島へ決行したら、7日に戻る予定の鹿児島、大分にいたことになっていた。
台風9号の影響で7日に大分で足止めを食ってフェリー欠航により帰京が大幅に遅れるところだった。
また、今日も明日に延ばして一日遅かったらフェリー欠航で帰京はアウトだった。
足止めを食って帰京できない様子をSNSで確認してそう実感した。
あの時に自分がとっさに判断したあの場面、状況をつい振り返る。
今は良かれども、一寸先は闇とはよく言ったもんだ。
人生の運、不運について考えた。
ジョン万次郎しかり、坂本龍馬しかり、そして今回の山旅ドライブに起きた出来事等様々なことを重ね合わせていろいろと考えさせられた旅だった。
本日の走行距離1,179km 走行時間17時間50分