#145 それでも立ち上がる

2021年7月17日

 

深夜2時に目が覚め、ヘッドランプの光を頼りに山小屋の外を出る。

夜空を見上げると、手が届きそうな満天の星が燦々と輝いていた。

きれいの一言以外に言葉はない。

時折身震いするほどの強風が吹きつける。

この強風により、当初2時30分の出発を諦めて再び寝床につく。

 

4時過ぎに薄目で見るとMさんと目が合い、それでは行ってきますと右手を上げてゴーサインして部屋を出て行った。

どうか安全無事故であるように。

 

ご来光は4時35分との情報があったので、宝剣岳山荘の裏側の小高い丘に登山者達が我よ先に陣取っていた。

そして4時40分、登山者達の歓声が上がる。

 

いよいよ日の出のショータイムだ。

刻一刻、日が昇るエネルギーの強さを我が身に感じた。

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富士山、南アルプスのオレンジ色のシルエットがきれいだった。

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久しぶりに見たご来光に感動した自分は、山小屋からの朝弁当をザックに詰め込み、5時過ぎに山小屋を出発した。

ザックの重さは10kg超えでやや重いが、日頃のジョギングトレーニングで体幹強化しているので乗り切る自信はあった。

再び難癖のある岩場の宝剣岳を難なくクリアし、極楽平から濁沢大峰までの稜線は、地上の楽園そのもので見渡す絶景に酔いしれた。

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雲海に浮かぶ御嶽山

御嶽山の左後方は石川県にある白山

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極楽平からの稜線は絶景に囲まれた地上の楽園。

目指す空木岳は前方に見えたが、まだ遥かに遠い。
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南アルプス北岳塩見岳甲斐駒ヶ岳等オールスターが勢揃い。
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富士山、塩見岳駒ヶ根市街が見える。

最初の関門である檜尾岳までの2時間の登りに差しかかった時に後ろから声をかけられる。

 

振り返ると昨晩語り合った田中陽希似るTさんが追いついてきた。

お互いに休憩時間を取り、会話して疲れをしばし取る。

新宿在住のTさんから思いもかけず、長谷川恒夫杯出場に誘われた。

場所はあきる野、檜原、奥多摩に跨る山岳競走で飲みも食もあるあるでどうやらお祭り大会の雰囲気らしい。

10月開催だが、今年の募集は締め切ったとのことなので来年の参加表明をした。

 

それじゃまた再会しましょうと、その場で別れてTさんのダイナミックかつ軽快なフットワークに見惚れつつ、自分はマイペースで進むことを決意する。

太陽が上がるにつれて気温が上がり、辺り周辺は灼熱化した。

 

その時だった。

耳鳴り、目眩が出て体に異変が起き始めた。

いつもの足から沸き上がるパワーが無い。

そろそろ朝弁当を食べたいのだが、体が受けつけないのでそのまま前進を続けることにした。

 

目指す檜尾岳は、標高差のある急峻なガレ場を幾度となく登り返しが繰り返され、根気のいる登りだった。

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根気のいる標高差ある繰り返し登り返しルート。

他登山者も結構しんどいと連発していた。

 

また30度超えの灼熱化が身体に応え、ザックの重さも手伝い、少しづつ体力が奪われる。

約2時間のガレ場の登り返し激戦を制してなんとか8時過ぎに檜尾岳山頂に着く。

想定外の苦しみだったが、本当の苦しみはこれから本番だった。

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ようやく檜尾岳山頂に到着。

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檜尾岳山頂から南アルプス主脈を一望。

絶景だ。
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左に見える高い山が目指す空木岳

少しづつ接近。

貫禄ある山容だな。

空木岳まで行くには幾度の難所が立ち塞ぐ。
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次の目標は、ここから1時間30分要する熊沢岳に腕を組む。少し手強い登山ルートだ。

 

照り返す太陽の暑さが徐々に体力が奪われ、息絶えだえの自分に気づき始める。

 

まるで蟻地獄のように四つ這いに岩場に這い上がる。

岩場のトップに辿り着いたかと思うと、前方に幾度となく登り返しの連続があり、小休止してはため息をつく、繰り返しの状況。

 

突如、夢遊病者然となった別の自分が現れる。

判断力が鈍くなり弱気になった自分は 逃避 遭難の文字がちらつかせる。

まるでロープに体を預けて連続パンチの猛攻を受けるような感覚だった。

 

確かに遭難の文字が大きくなり、ヘリコプター救出ヘルプを何度か脳裏によぎった。

 

あれは確か今年の3月に山梨県にある七面山登山に出会った登山者のヘリコプター救出談が蘇る。

その登山者は、夏山で熱中症にかかり、その場で倒れて身動き出来ず、携帯でヘルプを要請。

以後反省し、山岳保険に加入し夏山は回避するなど対策していると伺った。

 

自分も他人事ではないと猛省し、本年6月山岳保険に加入。

なのでヘリコプターを呼んでも保険があるので心配無用だ。

 

いや待てよ。

ヘリコプター救出となると、テレビ新聞等報道され、世間の晒し者になるではないか。

家族の顔がよぎり、申し訳ない気持ちがまさった。

 

だが、本来のパワーは残されていなかった。

絶景を楽しむ余裕も無い。

見えるのはHELPの4文字の隣合わせだった。

 

さて、どうする。

まだ目眩がする自分の鈍い判断力により、この日の空木岳登頂は断念し、せめて木曽殿山荘まで前進することを決めた。

 

熊沢岳を標準時間30分オーバーで10時到着。

熊沢岳から木曽殿山荘小屋までは標準時間2時間。

熊沢岳からの登山ルートは、しつこくも急峻な岩場の登り返しが幾度となく見える。

少なくとも3山のコブを乗り越える必要があった。

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熊沢岳山頂からの眺望。


灼熱で体が衰弱しつつある。

朝弁当を食べたいのだが体が対応できず、少しづつペットボトルで水を飲むだけ。

 

大きく深呼吸して眼前の急峻な岩場を凝視する。

青空に向かって手を合わせて全神経を研ぎ澄ませる。

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ここから3つの小ピークの登り返しが待っていた。

 

まずは東川岳を集中して登山開始。

足にパワーが出ず、ヨタヨタフラフラに体が傾きながら気合入れて歯を食いしばり、幾度とある小ピークのガレ場を必死の形相で登り返す。

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標準時間30分オーバーで東川岳山頂に13時過ぎに到着。

ここまで来れば後は木曽殿山荘小屋まで一気に下山するだけだと思うと全身から力が抜けて体を預けるように横に倒れた。

まるで巨漢FWのタックルに倒されて脳震盪を起こした感じだった。

 

自分の頭の中は図形が描かれ、星を追っていた。

まるで宇宙に彷徨っていた感覚だった。

 

登山者がこんにちはと声をかける。

元気ですかと同じ意味合いだ。

すかさずこんにちは(生きているぜ)と言い返す。

その声を聞いて安心したのか、その登山者はそのまま行ってしまった。

 

太陽の熱が強く、ゆっくり休養させてくれない。

10分後に目が覚めてズボン、シャツに付いてしまった土砂を手で何度も払う。

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木曽殿山荘から空木岳までは2時間の登り。


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ようやく着いた木曽殿山荘。

 

20分下山できるところを50分かけてようやく14時過ぎに木曽殿山荘に着いた。

玄関に取りつけてある重い戸をガラガラ開けると正面に70歳過ぎの小屋オーナーと思しき方が本を読んでいた。

一見して会社役員を経験された、いかにもマネジメントに強い印象があった。

 

どうでしたかと小屋オーナーがいった。

自分は、いやー、全く力が出ないんです、というと、

小屋オーナーはそれは高山病ですね、と即答。

 

えっ!

俺が高山病か!

百名山87座踏破中のこの俺がか!?

 

少しショックは大きかった。

気持ちを落ち着かせるために2階の大広間を通された。

どうやら一番乗りみたいだ。

そこで横になり、激戦を制した体を休める。

窓は開放されて時折吹く風は気持ちいいが、次第に寒さを感じてきた。

 

16時前に小屋テラスでコーヒーを一服。

目の前に座る登山者はピーナツを頬張りビールを飲んでいた。

見るからに60歳前後で竜雷太に似る優男のBさんだ。

 

自分は高山病になったみたいで力が出ず、ヨレヨレでなんとかこの小屋に辿り着いたことを打ち明ける。

Bさんの返ってきた言葉は 高山病?自分は高山病になったことがないから、と素っ気なかった。

 

この会話のやりとりをテーブル一段前方に座っていた、65歳前後の車大吉に似るAさんが耳をそば立てて自分の様子を覗くように何度もギョロ目を効かせていたことは肌で感じていた。

 

17時夕食タイム

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今日の宿泊者は30人だ。

コロナ禍で定員の半分以下に抑えているのは妥当な線だろう。

指定されたテーブルに着席すると、奇しくもAさんとBさんと同じ席だった。

体調がすぐれない自分は、おでん数個食べるのが精一杯で、山菜ご飯等体が受けつけず無理だった。

晩飯を無理して食べて明日のエネルギー補強としたいところだが、吐き気が催し無理だ。

明日の空木岳登頂は叶うことができるのだろうか。。

 

自分の右斜め前に座るAさんはビールをグイグイ飲んで明日の空木岳山頂からのご来光を見るために当小屋を2時30分に出発すると意気盛んに言う。

当小屋から2時間登りなのでまぁ妥当な出発時間だろう。なにせご来光は4時30分過ぎなのだから。

自分の前に座るAさんは4時30分過ぎに当小屋を出発するようだ。

 

晩御飯に全くありつけない自分の落ち込んだ様子を見たAさんはこう言い放った。

「おそらく高山病か、熱中症だろうと思うが、とにかく明日は登り2時間、下り6時間のハードコースであることは間違い無い。

晩御飯を食べずにハードコースに耐えられるのか?

ここは無理してでも連泊して体を大事にしたほうがいい。

さもないと万が一事故にあったら我々としても何もできないのだから」のような主旨だった。

 

初対面の自分にこんなことをいうのかと憤りを感じたが、言い返す元気がなかった。

というか、正論なので反論できなかった。

 

18時過ぎに2階に上がり、大広間で布団が敷かれていた。

疲れを一刻でも早く取るために布団に潜り込んで横になる。

19時過ぎに小屋オーナーが心配になって自分の様子を見に来てくれた。

そして一言、「明日元気になって食べられるかどうかわからないけど、朝弁当サービスしとくから寝床に置いとくよ」

小屋オーナーの優しい配慮に目頭が熱くなった。

 

なんとしても元気回復して4時15分当小屋を出る。

そして遅くても6時45分空木岳山頂着いて車駐車している菅の平バスセンターに16時に辿り着くことをイメージした。

ただしこれは、自分の体が回復した場合である。

 

祈るような気持ちで再び布団に潜りこんだ。

 

今日の歩行距離7.8km 歩行時間9時間

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